先日、
「昔から絵の上達の遅い子供であった」と
自分の過去を振り返る投稿をした。
①では幼少期から子供時代を振り返ったので
今回は自我が芽生え暴走を始める時期、
思春期から学生時代の自分のあるあるを綴っていきたい。
絵が上手くならない人あるある ~思春期から学生時代編~
資料を見ることを負けだと思っている。
何も見ずに描けることが実力だと思っていた。
目で見た物の形を記憶して、描ける形に頭の中で変換できること、
そしてそのストックが多いこと、それが実力であり才能なんだと。
その能力は、確かに描く経験とともに結果として積み上がる[絵の実力]だけど
なんとなく生まれつきその状態でありたいという願望から
資料を見ないのは間違っていたと今は思う。
実際は記憶できなかったし変換もできなかったから
描きたい絵が描けないだけだった。
絵に時間をかけることを負けだと思っている。
短時間でさらっと上手く描けることが実力だと思っていた。
その能力は確かに絵を描く経験とともに結果として(以下略
実際は、私にさらっと上手に描く力はなかったので
自然と難易度の低い絵ばかり描くようになった。
消しゴムを使わず一発で描きました。の意(例:一発描きです(^^)💦)
が添え書きしてある上手な絵に激しく嫉妬した日々‥
アタリを知るも、従えず、投げ出す。
画面に対しておおまかに形を描いてバランスをとっていく「アタリ」‥
「知るだけで何かバランスよく描けるようになるもの😃✨」として
私はそのテクニックに夢を見ていた。
でも、そのアタリを描くことや
アタリに沿って描くことが、普通に難しいことだった。
数々の風船人間、アタリをガン無視ではみ出す人間、
アタリを繭のようにして中に篭る人間などを
生み出した後、私はアタリから離れた。
絵が上手くいかない理由は「本調子じゃない」
絵が自分の思うように描けない。
その悩みに対して、どう向き合うかは人それぞれだ。
[改善点を見つけて努力して成長していく]
理想はそうだけど、言葉にするのは簡単だけど‥怖くない?
‥‥ゲームと違って手段に何のヒントも無いんだよ‥‥
‥‥‥努力を積み重ねた結果、悪化することすら、あるんだよ‥‥
だから私は向き合えなかったし受け入れられなかった。
今の自分が実力不足で努力が要るということを。
だから
「本当はもう十分な才能が備わってるけど今日は調子が悪くて発揮できてないだけ」
ということにした。
”調子が悪い日”はけっこう多くて‥うんざりしたなぁ。
肩が、永遠にわからない。
この問題はまだ解決していない。
近いうちにこれに取り組む記事を上げたいぐらい。
昔から肩を描くのが不安でしょうがなかった。
絵の下手な人はバストアップの絵ばかり~
とはよく言われることだけど
バストアップでもかなり頑張っていると思う。だって肩描いてんだから。
正面からならまだ正しい肩幅の測りようがある。でも‥
斜めになると正解が一気にわからなくなる。
斜めになった分、手前も奥も肩幅短くなるね?それってどんぐらい?右肩も左肩も均等な幅のはずだね?でも遠近法あるから奥の方を小さく短く描かないといけないのかな?どうしたら均等に見える?肩幅は体格にもよるよね?不自然じゃない体格にするにはどんぐらいの肩幅が正しいの?ねえねえ?
肩を描くたびに憂鬱な気分になったものだ。
絵の学習コミュニティは怖い。絶対に異次元レベルの話してる。
絵を勉強するためのコミュニティがあることは知っていた。
絵が上手くなりたい人同士が学び合ったり先人の知恵を教わったりするらしい。
でも、私はそういう場所に拒否反応を示していた。
ただただ恐ろしかった。
ものすごく上手い絵が添削対象として提出されて
素人目にはわからない高度な部分の微調整を
知らん専門用語で語り合ってる場所‥‥
そんな場所に私が
「か、肩がどうしても変になるんすけどぉ~」
などと言いながら混ざるのは完全に場違いな気がするし、
自尊心が粉々になる。
絶対に現在進行形で自分の絵の問題に気づけないことが怖くなってくる。
1年前の自分の絵を見て「あっ (0o0) 」
1か月前の自分の絵を見て「あっ (0o0) 」
描いている当時は「問題ない、変なところはない」と思っていたのに
後から見ると絶対におかしい絵になってる現象に悩まされた。
何でこれでいけてると思ってたんだろう!
自分、怖ぁ~!((0o0))
という恐怖。
これが繰り返されると、逃れられない疑念が湧いてくる。
今の自分の絵もそうなのでは‥‥
人に見せてはいけない代物なのでは‥‥
絵を楽しく描き続けるために、そう思うことを避けてきた。
今の自分の絵は大丈夫だって信じようとした。
でも大人になるにつれ、「変だ」と思うまでのスパンが短くなり、
1週間の自分の絵を見て「あっ (0o0) 」
昨日の自分の絵を見て「あっ (0o0) 」
今の‥‥
「あっ‥ (0o0) ‥」
そこに辿り着いて、しばらく絵を描くのをやめてしまった。
やっぱり、自我が爆走を始める時期のことだけあって
現実と理想の水蒸気爆発ぶり、今の自分が読んでてもつらいものがある。
才能への憧れって危険だな。
才能を努力せずとも最初から備わってる力だと思って
努力から遠ざかるの、惜しすぎる。
今は、好きなもの、必要としてるもの、欲望の優先順位、環境など
自分を構成する要素をひっくるめて才能と呼ぶんだと思ってる。
例えば私は昔から頭の中で物事をまとめるのが苦手だから、
その補助ツールとしてパソコンを好きになって
使ううちに操作できるようになったこととかがそう。
だから、描きたいものがあるならもう絵の才能はある。
そういう結論が出たから才能ドリームから覚めた今でも絵は描く。