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子宮筋腫を8年放置してたこと⑫~術後1日目~

2021年、8年間放置していた子宮筋腫に向き合って治療したときの話を綴っている。

前回は、手術当日~手術が終わるまでのことを書いた。

術前から術後まで鎮座し続ける体調不良。

それは手術とは無関係に私を苛み続けるのであった‥。

術後に病室に帰る時、美容院みたく顔に布が欲しかったけど縁起が悪すぎるわな…

※注意 食欲がなくなる話が含まれます。



術後の痛み

術後、切られた術創はどのくらい痛むのか?

手術を決めた時からずっと気になっていたその疑問の答えは意外な形で出た。

術創というか、腰が痛い。

実際にメスが入ったであろうお腹の表側はむしろ無痛と言って良い。

何でか腰周辺が重くモッタリと痛む。

寝すぎてしまった休日の朝の腰の痛みに似ている。

腰付近の圧迫され続けた内臓や血管たちが

「重力をどけてくださいよ」と訴えるような、あの感じ。

深く息を吸うと地味に響いて煩わしいので、自然と呼吸が浅くなる。


「体の向きを変えたいときは看護師がお手伝いします」

とのことだったので、都度ナースコールを押すのだけど、気が引ける。

変えた結果、あ、やっぱりさっきのがいい!となっても言いづらい。

そして寝返りを打つと内臓がテンパってるような痛み方をする。

刺すような痛みというより、あらぬ方向へ引かれてぎょっとしているかのような。

筋腫が去って空いた広いスペースに内臓たちが戸惑っているような。

ここもっと狭小住宅じゃなかったっすか!?なにこの広さ?どこ行きゃいいの!?わぁーーころがるーー!ごろごろーー!

そんな光景を想像した。


緑のゲボ事件

体の向きの変更はおもに右向きと仰向けを交互にやってもらっていたのだけど

左向けに挑戦してみたとき事件は起きた。

左を向いたとたん、なぜか‥

地下2メートルあたりを這っていた体調が15メートルぐらいに陥没したのだ。

オボォーーーーー!!

もともと気持ち悪かったけどもう完全にアウト!!ナニコレ!!状態。

さすがは病院で枕元にエチケットボックスが用意されているのは最高だった。

1人で盛り上がっている(?)私に対処しようと

「いったんここを離れていいですか?」

と問うてくれる看護師さんにもちろんいいっすの意をやっとの思いで返す。

その後、どなたか(もはや曖昧)がやってきて、

「硬膜外麻酔の影響かもしれないから、麻酔の量を減らしましょうか?」

という提案をされた。

術後は、背中に入れた管から硬膜外麻酔が一定間隔で自動的に流れる仕組みになっている。

(手術直後の今、麻酔減らすの、こわ‥。)

そう思い、いったんそのままにしてもらったけど

その後再び吐いたから もうだめだ ということで麻酔を減らしてもらった。

(1時間に[4]だったのを[2~3]の間ぐらいにしてもらった)

2度目のゲボで私は見た。伝説の緑色のゲボを。

習い事の先生に聞いたことがあった。

吐く物吐いて胃液すらなくなると胆汁が出てくると。それが緑色をしているんだと。

あの話は本当だったんですね先生‥!

最悪な気分の中、先生の語った光景をこの目で見たことに頭の隅で感動した。

その後、吐き気止めの注射と酸素チューブの装着で気分はかなりましになった。

鼻から涼しい空気が入ってきて何だかハッピー。


長い夜

術後1日目の夜はとにかく管が多い。

※のちに酸素マスクは酸素チューブに交換

スマホがそばにあるものの、体中チューブだらけなので

うっかり何かの管を抜くリスクや体調の悪さであまり触る気にならない。

何度も寝て、何度も起きる。

酸素が出ている間はフットポンプの音やいびきも何故かASMRのように感じる

謎のハッピー状態が続いたが、酸素が薄れるにつれそれもなくなってきた。

何度も寝たし、さすがにもう朝でしょう。

太陽が出ていないのは何かの間違いでしょう。

そう思いながら様子を見に来てくれた看護師さんに時間を尋ねるとまさかのAM2時。

耳を疑うとはこのことである。

ちなみに、背中の麻酔は手元のスイッチと繋がっており、

痛むときは自分のタイミングで追加することができる。(※量に上限あり)

この時点で最も強い痛みは、最初に触れた「腰がもったりと、痛い」という症状。

この症状に麻酔が効くのかよくわからなかったし

何より麻酔を追加して気分が悪化するのが怖くて、最後まで押すことができなかった。

麻酔が体に合わない人もいると聞いていたけど‥

私も微妙に合わない方の人だったのかもしれない。


体調が悪い+不自由という、嫌~な組み合わせの中、

ただひたすら夜明けを待つしかなかった。


計8本にも及ぶ管からの解放までの道筋はまた次回。

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