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続・若き日の部屋~収納編~

先日、汚部屋でもないけどなんか綺麗じゃないなぁ~と

自分の部屋のことで悩んだ日々のことを書いた。

始まりの頃の、どういう部屋にしたいかも曖昧だった時期。

でも全然語りつくせてないんだ。

実は1番困ってたところを語っていない。

それは収納問題。

部屋の悩みとしては代表的なものだと思う。

とにかく収納がうまくいってなくて

そこから派生するさまざまな弊害に悩まされた。

どううまくいってなかったのか、

当時の私のボヤキと共に詳細を語りたい。


分類収納って、そもそも無理じゃない?

物の定位置を決めて整理整頓するのが基本と言うけれど‥

それがそもそも無理じゃない?と子供の頃からずっと思ってた。

【理想】

ここは文具の引き出しで、ここはノートの引き出し☆

物の居場所が決まっていて、出す時も戻す時も迷いが無い☆

【現実】

それぞれの引き出しがいとも簡単にパンク。

空いてる所に押し込むしかないので、分類どころじゃない。

あの引き出しは「だいたい書類」あの引き出しは「だいたい薬」。

1番最初は、引き出しの役割もはっきりさせてたんだ。

上から2番目は「文房具の引き出し」とか。

それがだんだんと、「文房具と懐かしい物の引き出し」

「文房具と懐かしい物とガムと貰い物の‥」と曖昧になっていき

分類の概念はゆっくりと死んでいったのだ。

でもそうしないと入らないんだもの?ねえ?


あれがどこにあるかわからないからやりたくない‥

分類収納ができないことによる代表的な悪影響①。

部屋にしまった物が必要なすべてのことがおっくうになる。

何がどこにあるか把握できていないので

まず探し出すことに苦労し、

さらに収納できるところに無理矢理収納しているので

取り出しやすさになどにも配慮する余裕はなく

取り出すことにも苦労する。

つまり、1つの行動への工数が3倍ぐらいに膨れあがっているわけだ。無駄に。

これの人生への影響はけっこうでかい気がする。


色々買ってきたけど‥収納すんのめんどくせ~

分類収納ができないことによる代表的な悪影響②。

取り出すことがおっくうなら、しまうことも当然おっくうだ。

買い物依存症の人の部屋に、買ってきた紙袋がいくつも

床に放置されてる光景って映像素材としてよくあるけど

買い物依存症じゃなくてもああなってた。

~紙袋は早くとも次の休日までは放置するもの~

そんな常識が私の中で出来上がっていた。

だって収納できる気がしないんだもの。


通帳どこだっけ?

大事な物だとわかっていながらも、よく見失ったものだ。

「自分にすら在処がわからないって逆に最強のセキュリティなのでは」

などと寝ぼけたことを考えていたところがあり、なかなか改善しようとしなかった。


上層にある服しか着れないの、もったいな‥

服は当たり前のようにタンスからあふれた。

たいして服好きじゃないのにそうなってのがポイントだ。

別に服が好きじゃなくてもワードローブはパンクする。

逆に、”服が好きじゃないからこそパンクしていた”のだと思う。

好きじゃないからわからない。

どれが捨てて良い服なのか、持っておくべき服なのかわからない。

ものすごく使いにくい、どこにも着ていけない服を

「なんかよくできてるから‥」という呆けた理由でいつまでも保管したっけ。

そしてタンスからあふれた、

タンスの上に置かれたかごの中の上の方にある服だけを着た

タンスの上層の服も着ようと思えば着れたけど

タンスにぎゅうぎゅうにつめたせいで引き出しも

ムックムクした開け心地でね‥

自然と開けなくなってしまっていた。

わずかな工数に見えても意外と行動から遠ざかってしまう原因になるんだなぁ。


今思うと、やはり部屋のものが多すぎたんだと思う。

自分が管理できる量を軽く超えていたんだと。

私はそんな自分の部屋を見ながら常々思ってた。

私の部屋なんだから私が支配したいと。

若き日の部屋はその逆だった。

物が野放しで自由に駆け回っていた。

幼稚園じゃねえのよ!

その後の数年にわたる部屋の改革はまた後日。

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